昔と全然ちがう!いまの農業は“働きやすい”仕事です

  • 野菜栽培

私が富山で農業の手伝いをしていたが、「トマト」の栽培が最も思い出に残っている。

通常のトマトの出荷より早く市場にだすため、当時はめずらしくハウス栽培を行っていた。

ハウス内の作業のため蒸し風呂の様なることもあった。そのような時は、ビニールハウスの屋根と側面の

境を開けて風をいれたりした。消毒は現在、禁止されているが青色の水銀ボルドー液を桶に入れ、

私は手押しポンプのハンドルを押し引きし、母は桶からのビニールホースの先に竿があり、竿を上下させながら霧状にして噴霧、消毒をした。時には熟したトマトをその場で消毒液が残っているのをズボンで拭きトマトの独特な風味を味わいながら数個食ったのを思いだす。収穫は熟したトマトでなく黄緑色のトマトを布切れで拭き、段ボール箱に1段にして梱包、出荷した。この仕事は一家総出の仕事になった。

しかしハウス栽培では苦い思い出があった。台風がきてビニールハウスのビニールが飛ばされたり、富山は豪雪地帯でもあったから雪の重みに耐えかねてハウスがつぶれたこともあった。特に昭和38年の豪雪時は平地で約2メータの高さまで積り1週間は自動車が動かなくなったこともあった。

最近は温暖化の影響があり、一冬でせいぜい30cm、降らない年もある。

その他米以外の農作物などではキャベツ、ナス、キュウリ、野菜以外にハウス内で電照菊を作っていた。

正月は菊を使うのでその時期に合わせて夜でも明るくして咲く時期を調整して出荷した。

これらの農業活動は戦後20年代~30年代まで、農業も復興期だったので、地域の農家数軒が集まり

農業を復興させるため「興農会」を組織してチームで頑張っていたのを思い出す。

注:農業と関係の深い「環境経営士」https://www.compact-eco.com/ もご参照を

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