昔と全然ちがう!いまの農業は“働きやすい”仕事です

私の親が農業を富山県で行っていたが、当時の農家の日本の平均田畑面積は0.9町歩(0.9ha)だったがその倍の

1.8町(1.8ha)町歩を稲、野菜はキャベツ、ナス、トマト等を作り、正月用に菊の花の開花時期を調整するためにハウス内で電照菊等を創り生計を立てていた。

この経験を踏まえて戦後の農業発展過程を振りかえってみる。このシリーズは私が居た村の有志が「村史」

を執筆したが、この書籍からも参考にした。

戦後の農業の変遷は私の二十歳過ぎまでの農業の経験と私の住んでいた村についてだから、日本全体の

変遷とは若干違うと思うのでご了解の上、このシリーズを書いている。農業でも日本人の主食の米作りが主です。

  • 田の準備作業

 前年の稲株をそのままにしておくと、ゴロゴロして田植えなどに支障を起こす。このため雪解けとともに株を半分に切る作業をした。昭和の初め頃までは柄の長い草刈り鎌で株を切っていたとのことだが、その後靴の裏に鉄製の「かぶ踏み器」を取り付けて株の上を歩くと自動的に株が切られるようになっていた。「株切」は子供の仕事になった。

 もう一つには田圃の水が漏れないように畔(あぜ)をしっかり作る作業があった。このため畔切りと称して野ネズミやモグラで穴だらけになった畔を鍬(くわ)で作りなおし、田に水を入れ仕上げは平鍬で田の水が漏れないよう、モグラなど田に入らないようにする作業があった。この畔は雑草が生えたりして定期的の刈り取り作業があった。その後この畔は、コンクリートブロックとなり不要となった。

注:農業と関係の深い「環境経営士」https://www.compact-eco.com/ もご参照を


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